時計の針が7時を追い越した。
 人気のなくなった学校内で活動しているのは、大会までの日付け3日を切ったアメフト部のみだった。
 「部誌なんてちゃっちゃと終らせろノロマ糞マネ。」
 「ノロマじゃありません〜! ちゃんと書かないと延長届けもう認めてもらえなくなっちゃうことだってあるのよ!」
 といっても、すでに迫った秋大会。
 ここまできて疲労蓄積するわけにもいかない。一定の練習を終えた部員たちは、着替えを終えてそれぞれ既に帰宅の途へとついていた。
 着替えも済んだというのに尚まだ部室に残っているのは、この二人だ。
 「そんなもんより仕事は山のようにあんだかんな。」
 「わかってます、」
 パソコンのキーボードを叩き続けるキャプテン蛭魔妖一と、書き物から目線を上げないマネージャー姉崎まもり。
 「ハイ、これで終りました。」
 かたんとシャーペンを置き、部誌を閉じるとまもりは蛭魔の隣からその手元のパソコン画面を覗き込んだ。
 画像が動いている。動画、という単語はパソコンを使わないまもりの頭にぱっと浮かばなかったが。
 「…この動きはえっと、ゾーンブリッツね?」
 「さすが優等生サマ。暗記はお得意デスネ〜。」
 「んもう!茶化さないで!」
 素直に正解って言いなさいよ、そう頬を膨らますまもりを無視して蛭魔はちゃかちゃかキーを操作し画像を変える。 映っているのは数個の○と△、スクリメージラインを示す線を挟んで対峙しているプレイヤーを表したコマだ。
 チームカラーの赤でデビルバッツのフォーメーションが隊列されてある。
 「てめーが覚えんのはこれだ。」
 ディスプレイの中でフォーメーションが変動する。まもりがその守備の動きを頭に叩き込もうと食い入ると、蛭魔は場所を空けてテーブルから席を立った。
 まもりの背後でかちゃかちゃと茶器が触れ合う音がする。部室の隅にあるサイドボードの上に置かれた、まもりが作り置きしている麦茶か、それともアイスコーヒーかを蛭魔が注いでいるのだろう。
 こぽこぽこぽこぽ。一拍おいて、蛭魔は言った。
 「サイン間違えたらぶっ殺すかんな。」
 まもりが今まで触れることのなかったアメリカンフットボールという部活のマネージャーなって思ったことは、アメフトとは他のスポーツとは毛色が違うな、ということだ。
 もちろん個々その他の競技、ルールに乗っ取っているのは当然だ。
 ただ、アメフトは机の上で計算された理論が大きな割合を占める、という点において、やっぱり一種変わっていると思う。
 まもりは片手にシャーペンを持ち、ノートを広げて画面に見入った。
 季節は未だ日が長い。
 網戸にした窓から見える空はようやく薄暮になってきたところで、この時間になっても視界に不自由はなかった。
 それでも吹き込んでくる風はまもりの髪を柔らかに揺らし、昼間の暑さを払拭してくれる心地よさを感じる。
 画面のフォーメーションが一番始めに見たのと同じパターンを繰り返す。一巡したのだとまもりは悟った。まもりはテーブルの上にボードとフィギアを用意した。
 「ヒル魔くん、確認しましょ。このパターンは、ここでプレイコールね。そして…」
 蛭魔はまもりが動かすフィギアのフォーメーションを眺め、時々、ヤッパリ優等生デスネ〜など茶々を入れ、時々、このフォーメーションの場合は…と指示を出しそのたびまもりはノートにメモを取った。
 デビルバッツには監督がいない。
 たまに、「ヒル魔と付き合ってるの?」と訊かれることがまもりにはあった。
 それは友達だったり、顔覚えくらいはある男子生徒だったりしたけど、なんにせよそんな時、まもりは少し心外な気持ちを抱く。
 確かに蛭魔とまもりが校内で共にいる姿を見られる機会は少なくない。
 こんな風に放課後二人だけで居残って、試合の作戦立てをするのも一度や二度ではない。
 帰り道が暗くなっていると意外なことに蛭魔はまもりを送ってくれたりするものだから
 (はじめてそうされたとき「てめーみてえな女襲って返り討ちに合ってもそのヘンタイが不幸だからなぁ。」ケケケケと蛭魔は笑ったのだけれど、まもりもまもりで「…何か企んでるの?」と疑いの目を向けたものだから言い争いになった。)
 二人で下校、なんてそれが男子と女子だった場合カップルと思われても当たり前だとわかっているのだけれど、それでもいい気がしなかった。
 だって、蛭魔と話す内容といえば常に部活のことなのだ。
 軽くそんなんじゃないわと笑顔で返しながら、邪推はしないでほしいなあと僅かに思うことだった。
 監督もコーチもいないということは、それも生徒が補わなければならないということだ。
 必然的にすべてを請け負うのが、蛭魔妖一。
 一通りのパターン確認をし終えところで、蛭魔は先ほど飲みかたカップを取るのに再びまもりの背後に回る。
 麦茶かコーヒーか。
 まもりは蛭魔に尋ねなかったけれどコーヒーだろうなと勘で思った。
 「ヒル魔くん。ガムシロップ入れたほうがいいわよ。」
 「ああ?んな甘くせえコーヒーなんざ飲めるか。」
 勘は当たり。まもりは戦術ノートをまとめるのにシャーペンを走らせたまま言った。
 「疲れてるでしょ、身体は甘いもの欲しがってるわよ。糖分摂取したほうが頭の回転もいいんだから。」
 「へ。んじゃあてめーの頭が能天気なのは糖分過剰のせいだな。」
 口の減らない。まもりは僅かに溜め息を吐いた。
 「…じゃあこれは、ただのマネージャーとしての言葉、」
 「あ?」
 「サイン間違えたら、本当に殺していいわ。」
 ノートをまとめ終えて、シャーペンの芯をしまい込む。
 まもりは、くるりと蛭魔に顔を向けた。蛭魔は胡散臭そうにまもりを眺めたが、別に構わなかった。構わずにまもりは蛭魔の顔を見上げた。
 本当に言いたいことは、別にあった。
 でもそれは、言い出したいと思っているくせに言葉にしてみようとすると、ひどく的外れなセリフになりそうだった。
 悪かったわごめんなさい余計なことを口出したわ、どう言っても不適合に思える。
 何より、まもりは蛭魔に詰め寄ったことに心から謝罪を感じていないので、意味がない。
 雪光をレギュラーから外す決断は、おそらく間違いじゃない。
 でもただただ黙って受け入れるには、まもりの本能はあまりに母性が強かった。
 嫌なことは遠ざけてあげたい、弱き者は守ってあげたい、頑張りは称してあげたい、と、まもりは人に対して切実にそう思う。
 まもりに備わった本質はどこまでも女で、なんでもかんでも与えたくなるのは性だった。
 だからと言って蛭魔の葛藤を感じ取らないまもりでもない。
 尋ねたことなんてないけれど、蛭魔はおそらく、雪光が主務へと転じてくれることを頭のどこかで願っている節があった。
 レギュラーもメンバーのアメフト経験量も時間も何もかもが足りないデビルバッツで、監督がいないことも圧倒的不利に働いている。
 蛭魔が雪光をベンチでの頭脳として考えなかったはずはない。
 でも、口にしたことはなかった、ただの鱗片たりとも。それは雪光が、フィールダーとしてピッチを走りたいと心から望んでいたから。
 事実、根性が巨木のように深いのは誰より実は雪光だと見抜いていたから。
 この、デビルバッツで。
 蛭魔がどんなにか勝ちたいを願ってやまないデビルバッツで。大切なデビルバッツで。
 「ヒル魔くん、」
 勝つことより大事なことはないと蛭魔は言いきった。
 蛭魔がこの言葉を翻すことは、絶対にないだろう。
 まもりはその心理を完全に理解することができない。
 考えてみたところで、蛭魔とまもりの相違の違いはこれからも平行線を辿る気がする。
 だから蛭魔に口出ししたことをまもりは謝れない。
 まもりが罪悪感を覚えるのはその部分ではない。
 「わたし、誓うね、」
 蛭魔に対して向けられる言葉をまもりは持っていない。どこを探しても見つからない。
 それでもこの男に対して、誰が言葉をかけるのだろう?そう思うとまもりは切なさを禁じ得ない。
 レギュラー発表の後の背中を追いかけて、蛭魔の内面をまもりは突いた。
 責めたかったわけじゃない。怒りたかったわけでもない。なのにまもりは、蛭魔に問いたい言葉を間違えた。
 言わせたかったのはあんなセリフじゃない。自分の心のもやだけをぶつけて、なんてことだろう、まったくの的外れ。
 ただ、まもりはただ蛭魔に。蛭魔に…
 かたんとまもりは椅子から立ち上がった。目線が高くなって、ピンクグレープフルーツみたいな日暮れの名残が西に沈もうとしている色が見えた。
 「わたしは、全力でデビルバッツ選手をサポートし、全身でこれを助け、全霊でこれを応援すると誓います。」
 デブルバッツマネージャー、姉崎まもり。
 聞こえてくる車の走行音は遠く、パソコンの微弱な起動音だけが部室の中をうねる。
 「…結婚式の誓いの言葉みてえだな。」
 ケケっと馬鹿にするみたいに蛭魔は笑った。
 彼にしては甘くさいジョークを言うものだから、まもりはつい小さく噴き出す。
 「そうよ、」まもりはわざと、つんと胸を張って、言った。「だって、好きになったんだもん。」
 胸を張って、サイドボードの横で壁に寄りかかっている蛭魔の正面にまもりは向き合う。
 「好きになったわわたし、アメフトが。こんなに好きになるだなんて思わなかった。」
 事実、そうだった。
 アメフトは分類すれば、格闘技要素を含む競技だ。暴力的なものをまもりは好きではない。
 はっきり言って大嫌いだ。ボクシングもプロレスも、テレビで放映されていたとしてまもりはチャンネルを変える。
 勉強のためアメフトの試合を見ても、タックルでダンプカーに衝突された人形みたいに空に舞う選手を見ると、背筋が凍るほど身が竦む。
 なのに、だけど、まもりは言える。
 「アメフトが好きよヒル魔くん。好きよ。好きよ、大好き。」
 蛭魔は呆れたような顔をした。
 「何度も言ってんじゃねー、糞マネ、」
 
 何度も言うわよ、ヒル魔くん。
 
 蛭魔とまもりが唯一間違いなく共通する想いをまもりは蛭魔にぶつける。
 まもりに言えることは何もない。これは単なる真実だ。
 言ってよ、と、言いたい。
 ヒル魔くんも言ってよ、何よこんなことも言えないなんてあなた実は馬鹿なんじゃない?となじりつけてやりたい。
 蛭魔は一瞬、してやられたといったような顔をしたのをまもりは見逃さなかった。けれど追求はしないでおいてあげよう。
 「好きよ、ヒル魔くん。」
 
 蛭魔が抱える葛藤もそこから生じる矛盾も、まもりにはとても馬鹿馬鹿しい。
 しょうがない。どうしようもない。それがとても、いとしい。
 助けたいとか自分にも何か出来ることがあるんじゃないだろうかとか、そういうものは全部甘い幻想だと言わんばかりに蛭魔はまもりを叩きつける。
 だけど、情を見せないことでしか情を表わせない蛭魔を、やはりまもりはほんの少し手助けたい。
 そう思うのだからまもりも大概ばかげている。
 「…やっぱ能天気だテメーは、」
 「そうね。」本当にそう思う。「でもあなたも賢いなんて、言えないわよ。」
 壁から背中を離した蛭魔が一歩まもりに近づく。
 部室の中はだいぶ暗くなって、距離を縮める蛭魔の鼻や頬の凹凸に影が深く折り重なっていた。
 蛭魔はまもりの身長の高さに身を屈める。
 今日という日の最後の光りを金色の髪が吸収して、赤い燐光を発しているかのようにも見えた。
 きれいだな、とまもりは思った。そう思いながらまもりは目を閉じた。
 …かもしれねえな、という低い声が鼻の先から聞こえて、それからその声の主の唇がまもりの唇に重なった。
 それはどこか、とても不器用な仕草のように感じられた。
 吐息を重ねると言葉ではない伝達機能が働くものなのね、ヒル魔くん…、だから人はキスをするのだろうか。
 考えたのはそんなことで、これが自分のファーストキスだと思い至ったのは唇が離れた後だった。
 男の子の唇も柔らかいんだ…、
 聞き覚えがあるような月並みのことをまもりは思った。
 再び目を開けたとき空間は既に闇色に統一されていた。
 暗くなった視界に映る、会話をするには不自然な距離に、蛭魔の顔。
 「…どうしてキスしたの?」
 「…てめーはどうして避けねえ。」
 避けるわけがない。
 でもそれを、蛭魔はまもりに言わせようというのだろうか?まもりはすでに叫んだ。
 「てめーは人の領域にどかどかと踏み込んできやがるな。無礼な女だ。」
 心底憎々しいと言わんばかりに蛭魔は言う。
 言っている間にも蛭魔はまもりに口付ける。
 「じゃあどうしてキスなんてするのよ?」
 まもりはもう一度同じことを蛭魔に浴びせた。まもりはこだわった。
 何故ならまもりは蛭魔という人物にこだわりたいからだ。
 「おい…、」蛭魔はまもりを睨みつける。「抱きつきやがれ、おれに。」
 この三白眼で睨まれたら大半の人間は逃げ出すだろう。
 けれどまもりは逃げない。逃げてなどやらない。
 この目が真剣みを帯びた光りを宿していると知っている。
 視界が暗くてもまもりはその光りを見逃さない。
 「どうして?」
 緊張して、少し声が震えた。
 さっきから、実は自分の心臓の音がうるさい。
 不安とか恐れとか、それ以上に期待をこの男に寄せているなんて滑稽だ。
 そんなことわかっているのに、それでもまもりは蛭魔に対してこんなにも感情のベクトルが向いてしまう。
 蛭魔はまもりの唇に触れる。
 額がくっついてまもりの亜麻色と蛭魔の金色の前髪が紛れ合い、近すぎてお互いの表情に焦点が定めきれないぶれた視界で蛭魔は言った。
 「おれが…っ、そうして欲しいからだッこの糞マネ。」
 まもりが蛭魔の背中に手を回すと、蛭魔はまもりの腰を支えて身体を引き寄せ、態度とは裏腹な優しいキスをした。
 それがとても嬉しくて、まもりはちょっと泣きそうになった。
 優しかったからというよりは、蛭魔の中にきちんと優しさが潜んでいると実感できた事実が、切なくてなお嬉しかった。
 でもそんなの悟られたくない。
 嬉し泣きをするシーンは、きっとここより相応しい場面がわたしたちには用意されている、そうなんでしょヒル魔くん?
 いや違うまた間違えたもう間違えるのは許されない。
 そのシーンに勝ち向かって行くんだね?そうだと言って、ヒル魔くん?
 代わりにまもりは、笑顔を見せた。
 幸福が溢れ出た笑顔になった。
 まもりを見ると蛭魔は眉を歪めて、ちょっと困ったような顔をする。
 この男からはめったにお目にかかれないだろう、力の抜けた笑顔だった。
 その目の細め方に蛭魔の喜びが確かに存在していて、まもりはまた、嬉しくなった。
 蛭魔がまもりの顔を覗き込む。キスをする。
 顔の位置を変えて、唇をついばむ。それを繰り返す。
 どきどきしている自分の心音がひどく心地よいものとしてまもりの身体を流れている。
 キスってこんなに気持ちいいものだったのか、
 知らなかったな、なんだか知らなかった今までの人生損していたキブン、
 でも今こんなに気持ちいいから、ま、いっか…、
 ぐにゃぐにゃした思考がまもりの頭の中に満ちる。
 何度も何度も反復し、やがて蛭魔はまもりの腰に力が込めた。
 (うっ…、ん…ッ?!)
 ぼんやりしていたキスの間を割ったぬめりのある感触に、まもりは正直に肩をそびやかした。
 (…ディープキス……って、やつ…)
 蛭魔と。この蛭魔妖一と。
 「ヒル…っま、くぅ…」
 息が、息の仕方がわからない。
 それを蛭魔に訴えたいのだけれど唇を解放してくれやしない。
 鼻で呼吸すればいいと理屈ではわかるが、果たして本当にそれが正解なのか、通常なら意識もしない日常の営みが頭から飛び去って行く。
 思わず奥へと逃げたまもりの舌を追いかけて蛭魔はさらに侵入してくる。
 まもりの歯列を確かめるようにぐるりと撫でまわし、舌を捕らえて絡み合わせる。
 蛭魔の舌は強引さを増していき、何かを探し出すようにまもりの口内を漁っている。
 どう対応するべきなのか判断つかず、何かにすがりつきたくてでも今まもりに残されたのは蛭魔で、濃厚な口付けを送り込む張本人である蛭魔の背中を懸命にまもりは抱いた。
 単純に、不思議な感触だというのがまもりの感想だ。
 ぬめぬめしてぐにぐに動いて、まるで蛭魔の舌は別の意思を持った生き物であり口の中からまもりを溶かして食べるのかもしれない。
 不意にその食感をまもりも知ってみたいと好奇心が頭をもたげた。
 蛭魔の動きにわけもわからぬまま合わせてみる。
 さっき蛭魔が飲んだコーヒーの苦味が香るこの唇と、こんな柔らかいとろけるプリンみたいはキスをするなんて思わなかった。
 体温の低そうな男に見えていたけど、舌は間違いなく熱い。
 まもりと蛭魔の二枚のシャツを隔てて感じる皮膚も、発汗してるのがわかる。
 蛭魔はまもりの頭の後ろから髪に大きな手を差し入れた。指が首筋をすべって、ぞわっとした感覚が背筋に走った。
 蛭魔が覆い被さってきてまもりの背中は弓なりに反り返る。
 そうなるとますますまもりの口は開放され、蛭魔の唾液が流れ込み、まもりは喉を鳴らした。
 舌の裏側を引っ掛けるように舐め上げられ、ぴくっと震えた。
 (あ、や、ちょっと……)
 まずいのではないだろうか…、と思った。
 具体的に何がと問われれば上手く答えられないけど、考えるより先にまもりはそう思った。というか、考えられなくなってきている。
 思考能力が澱む。
 脳髄にびりっとした電流のような、それでいてとろかされてしまうような、甘い熱を与えられてまもりの身体はぴくぴく反応を示してしまう。
 歯茎を軽い調子で舌先で突つき、かと思えばいきなり吸い上げる。
 「ぁん…っ」
 声にならないうめきが鼻から抜けて、まもりは顔が熱くなった。
 でも、否定できない――気持ちいい。
 すごく気持ちいい。とけそう。本当にキスって、気持ちがいいものだわ…――
 頭がくらくらする。身体が発熱して、熱くてどうしようもない。
 蛭魔にしがみつく指先がしびれる。
 膝裏ががくがく震えて、まもりの身体が崩れ出す。
 一気に倒れないよう背中を支えながら、下がっていくまもりの唇を追いかけて蛭魔もしゃがみ込んだ。
 冷たい床にまもりの尻が着地したところで、ようやっと蛭魔の唇が離れていった。
 はあ…、とまもりは深い溜め息をついた。心音がこめかみから響いている。
 目はまだ開けられない。瞼がくっ付いてしまったみたいだ。
 身体の機能が思うとおりに動いてくれない。正確に言えば、動けと命令を出すはずの脳がショートしてしまったみたい。
 「おい」
 蛭魔の声が頭の上から降ってきて、緩慢な動きで瞳の蓋をまもりは開けた。
 焦点がぶれている。
 目を開けても周りは闇だったけど、窓から差す光りを集めるのに何度か瞬きをした。
 「…なぁに?」
 「床は汚くねえか?」
 「え・・?」
 倒れないよう掴んでいたまもりの二の腕を蛭魔は解いた。
 親指でちょっとまもりの下唇をぬぐってから、立ち上がる。
 「てゆうか、臭え」
 「う?うん」
 蛭魔の言うように、部員達の嗅覚にはすでに慣れたものだけど、部室は皮ボールと汗により独特のにおいがある。
 毎日の整頓と床のモップがけをまもりは欠かさなかったが、運動部に染み込んだにおいというのは拭えないものだ。
 特に今こうしているように床に近いと沈殿している埃と交じり合って臭気を強く意識する。
 それは、事実だが。でもそれがどうしたというのだろう?言われるままに同意したが蛭魔が言いたい本質をまもりは見えない。
 蛭魔の背中はロッカーへと向い、『ヒル魔』とプレートに書かれた下で荷物を取り出している。
 (帰るのかしら…?)
 そう思いながらもまもりの身体は立とうとしない。
 ぼんやりとした視界を、壁に立てかけられている機関銃へと意味もなく向けた。
 蛭魔とキスをした。嘘だと言われれば、もしかしてそうかもと思えるほど真実味がない事実。
 真実味はないのに実感は確かにある。なんだか、奇妙。ちょっと笑いたいかも。
 にじんだ汗に吹き込んでくる微風を感じて心地よい。
 
 影が戻ってきたことに気が付いて、まもりは顔を正面に戻した。
 制服のズボンが、すぐ目の前。予想外に距離が近くて、まもりは目をしばたかせる。
 すると次の瞬間、蛭魔の長い足が振り上げられた。
 「きゃあ!!」
 ――ドカッ!!がっしゃーん!
 反射的に頭を低めたまもりの後ろで、蛭魔に蹴り飛ばされたボードとフィギアが派手な音を立ててテーブルから転げ落された。
 びびびびびっくりしたぁ蹴られるのかと思ったわ!!…てそうじゃなくて!
 「ちょっと、何してるのよヒル魔くん!」
 怒鳴られても何処吹く風だ。
 さすがに蹴らなかったパソコンをよけて卓上にスペースを蛭魔はつくる。
 まもりの目線に、転がったメンバーの人形。
 あーあ、本当にもう…、
 まもりが床に散らばったフィギアを拾おうと――、するより早く、しゃがんだ蛭魔がまもりを抱いた。
 「わ、ちょ…」
 「動くんじゃねえよ、クソ重てえ」
 「なんですって?!きゃ!」
 叩く憎まれ口ほど重さを感じている様子はまるでなく、蛭魔はまもりの身体を浮遊させる。
 お姫様だっこ、というものではなく、脇の下に手を差し入れて小さな子供を抱き上げるみたいに。
 まもりはすとんとテーブルの上へと移動させられた。

 

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