バインダを閉じた瞬間「おら」と鞄を投げられた。
 慌てて両手で受け取って、
 「痛いわね」と強がったけれど実は本当に痛かった。下半身に響いた。
 優しくない男である。
 部室を退室するときもそうだった。
 散らかした床を「片付けなさい」といくら口を酸っぱくしても、無のつぶて。
 じゃあわたしが床を片付けるからその間にせめてサイドテーブルのポットを濯いでと言うとますます拒否された。
 「それはてめーの仕事だろう」
 まあ、それはそうだったと言われて直後に思ったけれど。
 結局まもりがポットの中身を捨てる間に蛭魔はフィギアを拾っただけだ。箱に揃えて位置に戻したのはまもりだ。
 それで十分進歩的だと思えるのだからどうしようもない。
 「じゃあ、送ってくれてありがとう」
 まもりの家の前で、いつものセリフ。
 蛭魔はああと低く言って踵を返すか最後に必要事項の指示を出すか、それとも食いすぎで腹壊すなよなどと言ってケケケと笑い去っていくか、だいたい三パターン。
 この日は、そのどれにも当てはまらなかった。
 その予想だにない蛭魔の言動は、まもりをひどく困惑させた。
 蛭魔は「ああ」と応えたのでそのまま帰るのかと、まもりが自分の家の敷地内に入るため見せた背中に、「おい」と呼び止める。
 「え?」まもりは無防備に振り返った。
 蛭魔が、やけに真剣は表情をしていた。
 なんだと、言うのだ。
 とりあえず普段まもりに見せているような顔じゃない。
 そんな顔でわかり切っていることを今更言うので、どうしたらいいのかわからなくなった。
 「おれはおまえを利用している」
 そんなことは、知っている。
 蛭魔はまもりとの間二メートルくらいの位置でスポーツバックを肩に担ぎ制服のポケットに手を突っ込みながら、じっとまもりの顔を見ていた。
 真正面。
 蛭魔の言ったセリフを、まもりは心の中で繰り返した。
 そんなことは知っている。
 蛭魔の方もまもりがそうだと理解していると当に熟知しているはずだ。
 そして蛭魔はそんなことに罪悪感を覚える男では到底ないし、まもりもそうされて傷付いてなどいない。
 二人とも全部わかっている、理解している、納得さえ、きちんとしているのだ。
 では何故それを今そんな真摯な顔で言うのか、わからなかった。
 無表情に近いような表情だ。
 薄い唇を一文字にし、堅い眼光をまもりに、よこしている。
 第三者が今このシーンを見たならまもりが金髪の男にからまれていると誤解を受けそうだ。
 なんなのだろう。
 蛭魔の言葉を吟味し、心に咀嚼し、その結果、まもりに応えられる答えはこれだけだった。
 蛭魔がそれに何を言って欲しかったのかは知らない。いや、何かの返答を求めているのかどうかすら、正確にはわからない。
 蛭魔の言い方はとても断言的で、あたかも宣言のようで、会話の応酬というより投げ付けられただけという感じ。
 わからないけど。
 でもまもりにはそんなこと蛭魔に真摯な表情で言われたらこの言葉しか思いつかなかった。
 自然と口がついた。
 『おれはおまえを利用している』
 知っている。
 「でも」わたしは、「都合のいい女にはならない」
 まもりはずばりと応えた。
 体力と技術と狡猾と知恵と勇気。
 それらが渦巻き攻ぎ合い受け合い剥き出しにするあの青いフィールドと同じ、蛭魔という人の生き方だ。
 とんでもないと思う。
 普通じゃないと思う。無茶だと思うし無茶苦茶だと思う。止めて欲しいと、時には本当に、思う。
 でも行けばいいと思う。
 蛭魔はその心と身体のすべてでそうしている。
 そうとしか生きられずそれしかないというなら、どうすることもできない。
 まもりはそれをすぐ側で見ていて、それで何かしら自分の力を貸せるというのならそうであればいいと思う。
 そうであることを願っている。
 それが蛭魔にすればもしかして利用という言葉の形になったのだろうか、よくわからない。
 まもりの言葉を受けて、蛭魔はちょっと目を見開いた。それは、吃驚したような感じの、顔だった。
 それはほんの一瞬で、次の瞬間、蛭魔は笑った。
 笑い出した、声を出して、あの特徴的な笑い方だ。
 ケケケケと。
 「あ、あの、ヒル魔…くん?」
 壊れたのではないだろうか、と少し心配になった。
 だって閑静な夜の住宅街にその笑い声は少々大きくて、しかも何故だか楽しそうというか、嬉しそう、と、いうか。
 「ああ、いや、なんでもねえ」
 笑い声を収めた蛭魔が、少し歩み寄って間を縮め、まもりの頭に手を伸ばした。
 「わ、ちょっ、なに?」
 「なんでもねえ」
 ぐしゃぐしゃっ、と髪をかき混ぜる。
 「や、やだっ、止めてよ!」
 「なんでもねえよ」
 会話が噛み合っていないのですけど?そう思いながら蛭魔の顔を見上げると、いつも通りの顔だった。
 不遜で不敵でニヒルっぽくて皮肉げな、にやついた笑い顔。
 でもどこかしらなんとなく、嬉しそうな感じにも、思えた。
 「じゃあな」
 まもりが「何するのよほんと!」と怒っている間に蛭魔はそう言って踵を返した。
 「んもう!謝りなさいよっ」
 謝るわけがない。その背中に溜め息を付いて、まもりは距離の離れていく蛭魔に再度声をかけた。
 「おやすみなさいヒル魔くん。また、明日ね」
 いつもと同じ、別れ際のセリフだ。
 蛭魔は何も言わず振り返らず片手すら上げないのもいつもと同じ。
 まもりもそれとわかりながらその背中が見えなくなるまで家の前で見届けるのもいつも通りだ。
 別にこれは蛭魔に限らず、友達が遊びに来たりして帰っていくときも完全に姿が見えなくなるまでまもりは見送る。癖みたいなものだ。
 友達だったならば見送るまもりに振り返って手を振ることもあるけれど、蛭魔がそんなことをしたことは一度もない。
 今日もしない。
 背中はブロック塀の角を曲がって、消えて行った。
 まもりはその背中を送り届けて、僅かに、吐息のような溜め息を付いた。
 なんだったのだろう、今のは。
 もう一度今度は先程よりも深めに息を吐いて、鞄とバインダを少し抱き締め、後ろに向きを変え玄関に向かった。
 「ただいまー」
 光りが灯る家の扉を開ける。
 
 さすがに親の顔は見れなくて、自室に直行するとまもりはパジャマと着替えを引っ掴み、バスルームへと飛び込んだ。
 まもりーお夜食はー?と尋ねてくれる母の声が聞こえたけれど、帰りにファミレス寄ってきちゃったんだ連絡もしないでほんとごめんなさいと断った。
 実際は夕食を抜いているのだけれど、とてもじゃないが今何か喉を通る気分じゃない。
 今更ながらと、わかっている。
 ここに来て、まもりの顔は真っ赤になっていた。
 蛭魔と対峙していたときは逆に意地を張っていたので良かった。
 よ、よりによって――、蛭魔と、だ。
 制服を脱いで裸になり風呂場に入る。
 シャワーを頭から浴び最初は少し低めの温度が身体を冷やす。
 はあ、と息を吐き出した。
 真正面に設置されてある大きな鏡に背中を向けてわざとそれから目を反らす。
 心臓の音が聞こえた。
 考えるのは、別れ際に何故蛭魔はあんなことを言ったのだろう、ということだった。
 これは蛭魔も間違いなくまもりと同じ考えだとわかっている。
 まもりにとって蛭魔と寝たことは、例えば蛭魔の彼女になること例えば所謂セックスフレンドというポジションになること例えば
 蛭魔の女と呼ばれる位置に位置付くこと、そういった事柄に、驚くほど直結していない。
 蛭魔と寝た、その事実だけを残して今までとの関係は変わらない。
 自分にこんな貞操観念を持てるだなんて考えもよらなかった。
 かと言って、これは蛭魔以外の人には適合しないだろう。
 やはりまもりは恋人の関係にある人間同士がセックスというものをするのだろうと考えるし、今だってそう思うし、自分もそうだと思っている。
 そんなまもりの固定観念の中で唯一の例外が蛭魔だ。蛭魔だけが違った。
 
 蛭魔と寝たこと、あの、ひとつになる、という行為で、強烈に実感したことがある。
 それは自分たちは、どうしようもなく二つの固体だ、ということだ。
 まもりは女で、蛭魔は男だということだ。
 同時に自分たちは、それを否定することで成り立っている。
 蛭魔はまもりを女にしたいと考えていない。
 まもりだって、そんなこと考えられていてたまるか、と思う。
 ただの女として蛭魔の傍らにいるくらいなら、まもりの能力などさして問題ではない。
 でも蛭魔はまもりをそんな風には見ていない。これは自分の名誉だ、能力で掴み取った。
 そしてまもりだって、蛭魔とキスや、ましてやセックスをしたいかどうかなどこれまでこれっぽちも思ったことがなかった(思っただけで未だに赤面する)。
 では何故、蛭魔と寝る展開になってしまったかと言えば、あれは言わば――『勢い』だ。
 その場の雰囲気と言ってもいい。
 どこでスイッチが入ってしまったのかはまもりにはわからない。気付いたのは当然男の蛭魔だったし、まもりは言ってしまえばそれに流された。
 この日に、あの時間、あの場所で、あの空気で、そういったものが流れて何故だかぴたっと揃ってしまった。
 言わば偶然、まぐれ、みたいなもの。
 すべて同じものを再び用意しろと言われても無理だと思う、二度と同じものはやってこないもの。
 ここにきて、初めて思い浮かんだことがある。
 自分は…果たして、蛭魔が欲しいのだろうか?、ということだ。
 まもりそれについて、本当に考えたことがなかった。
 例えば、あのとき蛭魔とやりたいと思ったのは、もっとわかり易い。
 あれは性欲だ。
 蛭魔に欲情されてまもりの女が反応した。はっきりと蛭魔が欲しかった。
 でも、まもりがたとえば積極性のある言葉を向けるほど逆に、躊躇、を募らせたのは、蛭魔だ。
 おそらくそれは蛭魔が、まもりを抱く、という行為に対して誠実だった。
 まもりを女にしたくないくせに抱く自分をどこかで止めたくて勢いがついたくせにそれを自覚してしまってまもりに止めて欲しくてでも実際は蛭魔が立ち止まるなどあり得ない。
 だからあの直前で、引き返せないくせに、引き返すなど一番似合わないくせに、最大級に躊躇した。
 ばかヒル魔…、と思う。
 そんなところで放り出されてそれが優しさに繋がるもんか。その誠実さが腹立たしい。泣きそうだ。
 まもりが男だったなら蛭魔を抱くのに。抱き締めて、撫でて、すごく大事にするのに。
 そうまもりが思うのは蛭魔を欲しいと思う性欲という欲望からは違う、むしろ正反対のような場所から生じている。
 まあなんにせよ、上手くはいかないのだろう。
 そんな蛭魔をちょっとかき乱した自分を、せいぜいちょっと褒めたいくらいのものだ。
 そして同時に痛感する、所詮そこまでだ、と。
 蛭魔の心のコアは物凄く深い場所にあって。
 それは誰も触れたことがなくて、誰にも触れさせなくて、見えない、わからない、共鳴できない。
 そしてそのコアに自分は本当に触れたいだろうかというと、そこは正直、戸惑う。
 へたに魅せられてあまつさえ無防備に飛び込んでしまえば、焼かれて喰らわれて終る、そんな結末が見えるようだ。
 思い出すのは、アメリカの地で見た流星の夜空だ。まもりにとって蛭魔妖一というのは、そういう男だった。
 
 デスマーチが始まってあれは三十四日目の夜だ。まもりは個人データをはじめとして日誌的記録を書き留めていたので、覚えている。
 忘れられない。
 彗星の群れに出会った。
 とにかくあの土地は、日本とは何もかもが違った。
 湿気はなく乾いた風が吹き荒み、巨大な太陽が身を焦がした。
 バーガーとコークのサイズに始まって、大地の広さ、空の高さ、すべてが大きかった。
 遮断物が何も見当たらない昼間の雄大さもすごかったけれど、夜もすごかった。
 毎夜が、日本では絶対に見ることが出来ないような、満点の星空。
 それでも徐々にそれが見慣れたものになってきて、そして限界を超える肉体的精神的疲労によって夜空を見上げることもなくなっていた頃に、あの星空は、すごかった。
 最初に叫んだのは黒木だったと記憶している。
 ――うお?!あれUFOじゃねえ?!
 誇張じゃない。そう思えるほど大きな光りの礫が、混じりけのない黒の世界から、次々に、まもりたちに向かってきていた。
 どうしてか皆そうすることが当然のように、自然と一箇所に集まった。
 ふうっ、と溝六がカンテラの灯を吹き消した。懐中電灯は当然あったのだけれど、虫が寄ってくるので火の明りを使用していたのだ。
 それさえなくなって、周りは人工光が一切なくて。
 メロウ石のような、ピンクや、メロン色の帯を引いた塊が、絶え間なく、降り注いた。
 まもりはあの地で、本当の闇というものを初めて知った。
 例えば部屋の電気を消したとき、例えば、蛭魔と時間を共にしたあの部室の暗さも、あれは、本物の闇ではない。
 自分の伸ばした手さえ見失う。黒という世界以外の何者もなくなる
 そんな中で、漆黒のビロードにぶちまけたような光りの宝石がぼんと炎を噴き弾けて失墜する。
 音が聞こえたわけではない。でも確かに聞いたような気がした。
 あれは星の命だ。
 幼い頃に見たことがある黒いフェルトに銀色の針を落したような可愛いらしい流れ星ではなかった。
 圧迫感さえ覚え、途方もない圧倒感。
 誰かが鼻をすすり上げる音が聞こえた。栗田だったように思う。
 はあ…、という溜め息を聞いた。三兄弟のうちの誰かか、それとも、三人ともかもしれない。
 モン太が翌朝言っていた。
 ――おれ、なんでか知らないけど泣いちゃったぜ。
 理由なんてなかった。涙が出た。自然と、物凄く、胸が熱かった、と。
 あの暗闇の中でまもりは、セナの手を握りたいと思った。
 でもこの真っ暗闇で、セナがどこにいるのかわからなかった。
 セナは何を考えていただろう。セナも泣いていたのではないだろうか。
 あの子は素直ないい子だ。
 モン太とその会話をしていたのはセナで、セナが男の子同士の会話をするのが嬉しくて微笑えましくて、邪魔をしたくなくて聞かずに立ち去った。
 セナは、あの闇と星で何を考えていただろう。
 そしてまもりは、セナの手を握りたいと思ったその逆の左手で、蛭魔と、手を繋ぎたいと思った。
 蛭魔がどこにいるのかは知っていた。
 まもりの隣だ。
 手を水平に上げればぶつかったかもしれない。
 探せばその手を手で見つけられたかもしれない。でも、そうしなかった。
 蛭魔はまもりなど頭から消え去っていただろう。
 どんな表情をしているのかはわからないが、少なくとも泣いてないのは確かだ。
 おそらく厳しい表情をしている。
 じっと見上げている。
 まもりは涙さえ出なかった。
 どうしようもなくてどうすることもなくて、動けなかった。
 
 もしかしたら蛭魔は、あの世界を見せるためにメンバーたちをあの地へ連れてきたのではなかろうか、そんなことを思った。
 蛭魔は闇という名の光りを見せる。
 闇に流れる光明を見せる。
 デビルバッツがクリスマスボウルに挑戦するのは、もしかしたら、人によっては無謀としかその目に映らないことだろう。
 言う人がいるかもしれない、愚か者、と。
 でも信じている。信じているだけじゃなく本気で立ち向かっている。
 そしてメンバーの中で、そのことに疑問や、まして疑念を感じる者は、誰一人として、いない、のだ。
 まもりは気が付いている。
 そして蛭魔もわかっている、当然だ。
 まもりと蛭魔の違いは、蛭魔は勝つと本心で公言してそれ以外を信じない許さない必要ない、
 まもりは勝つと本心で明言して同時にそうじゃない可能性も見ている、そういうことではないだろうかと思っている。
 星のように走り抜けるというのなら、しかし燃え尽きさせたりは、決してしない。
 失墜して燃え切る前に、防ぎ止めるのはまもりの役割だ。
 それを出来るのは自分だけだと自負している。これは奢りではない。
 蛭魔は、己がどれほど身勝手なのかをわかっていて。
 望みのために周りのすべてを巻き込んで罪悪感はまるでない、まるで嵐。
 でも自覚がある。自覚だけがあるからそれで弱さを出すことを良しとしないのだ。
 馬鹿だなあと思う。
 それでも、全力で前進するというなら、頑張ればいい。壊れる直前にまもりが全力で止めてやる。
 たとえ止めるなと叫び拒否されてもそれは関係ない。
 
 キュ、とシャワーを捻って、お湯を止めた。
 後ろを振り返って、曇っている鏡の水蒸気を手の平で拭き取った。
 映り出す自分の肉体。
 なんか、丸いな、と思った。
 思い出すのは顔が赤くなるのだけれど、思い出す、蛭魔の身体は堅かった。
 何も持たない潔さはまもりを強く魅了した。
 自分は泣きたくなるほどどうしようもなく、女、で。蛭魔に惹かれて止まない。
 でもこの想いを、恋、という言葉と気持ちで一括りにしてしまうことをまもりは恐れた。
 されてしまうことも嫌悪した。
 時々訊かれるヒル魔の彼女なのか?というセリフはまもりの心を僅かに痛ませた。
 そうじゃない。そんなわけがない。そうなることもない。
 たとえばもう、蛭魔とセックスをするようなこともないように思う。だいたいは本来それが正しいのだし。
 いつの日か、大人と呼ばれるものになって、恋人なんかもできたりして、そういったときに、高校の頃の淡い恋として思い出すことになるには相手として蛭魔はあまりに強烈すぎる。
 蛭魔との未来?――想像しないことも、まったくないとは、言わない。でもそれは、あくまで想像の範疇を決して越えない。
 リアリズムがまるで感じられない。
 夢を見るには蛭魔はあまりにセンチメンタリズムがなさすぎた。
 あんな男の彼女になって何か楽しいだろうかとまもりにはそれこそよっぽど想像できない。
 蛭魔が自分を無視できないのは知っている。
 まもりが蛭魔の片腕として機能しているからだ。
 実質的に共有する時間も多い。二人でいることも多い。
 おそらくは、蛭魔の右腕のポジションにまもりはいる、たぶんだけれど。
 でもそれは、例えばパスを受け取ってくれる至福を蛭魔に与えたモン太、蛭魔のデスクワークを徹底的に補佐するまもり、どこか何か違うか、まもりには同じように思える。
 その延長線上でまもりは女だっただけで、蛭魔とまもりがやった行為は、男と女としてのセックスだったのだろうか。
 まもりは他の男の肌など知らないので判断つかない。
 蛭魔は…、どうだったのだろう。
 とてもじゃないが、初めてには、思えなかった。仮に初めてだったとしてもそんなことが蛭魔の畏縮になるとは思えないけれども。
 あのピアス、あれは、結構な値打ちものだ。まあ、携帯を三つも四つも持っている人間がそこらへんで買える安物のピアスなどしないか。
 ひとつなど間近で見るとちょっと胸がときめくほど美しい細工が施されている品物だと気が付く。
 あともすべて本物のプラチナ。蛭魔の金髪によく栄えて、派手に輝いている。
 女だろうかと思わないこともない。
 実際そうだと言われようが違和感など少しも覚えない。そういった香りが似合うくらいの男だ。
 まもりは、自分の手の爪を見てみた。
 磨いてはいるので海に洗われた桜貝のように光っているが、邪魔になるので常に短く切ってある。
 まもりのこの爪では、蛭魔の背中に掻き傷を残すこともなかった。
 チクショウ、あのピアス、引き千切ってやれば良かったな、出来ないことを自覚しながらまもりはそんなことを思った。
 まもりには、蛭魔を傷付けることが、出来ない。
 蛭魔がまもりの脹脛に噛みついたみたいに、跡さえつけることも、出来ない。
 まもりは蛭魔を傷付けることが出来ない。第一、傷付けるために寝たのではないし。
 蛭魔が今夜のベッドの中でまもりを思い出し眠れぬ夜を過ごす、なんてことは、まず、
 あり得ない(そんなことになっていたらむしろ可笑しすぎる、通りすぎて恐ろしくもある)。
 それでもこれからもまもりの蛭魔への思慕は止まらず。
 蛭魔へのいとしさは、消せないのだろう。
 それはもう、諦めようと思う。
 捨てられないのなら抱いていくしかないのだ。
 蛭魔をいとしいと思うこの気持ちを、抱き締めて、むしろ忘れないで、大事にしようと思う。大事なことだと思う。
 でもまもりは、蛭魔を恋しいとは思わない。
 本当に思わない。その想いをまもりは拒否する。まもりが蛭魔を思うとき胸に感じるのは、仄かな温かさではないのだ。
 蛭魔に対して募るこの切なさは、もどかしさ、だ。
 常に一人でひた走ろうとする蛭魔に対しての、焦燥感だ。
 誰が気付くだろう、実はデビルバッツは、ちっともまとまりのあるチームに育っていない、という事実。
 当たり前だ、率いている蛭魔がまず高孤なのだ。そしてまだまだ幼いチームで、烏合の集だ。
 本来なら時にぶつかり合うことも辞さない。でもそんな事態にならない、蛭魔が許さない。
 蛭魔はすべてを許さないことによって突き進む。時間がない、そんな暇があるなら他にやることはいくらでもあると、生き急ぐ。
 崩れなければいいな、と思う。あの背中が、倒れなければいいなと、蛭魔が強度な芯の通ったてんでやわじゃない人間だと十分わかって、でも拭えない危うさはなんなのだろう。まもりの目にはそう映る。
 もしも倒れそうなとき、その背中を支える存在があると知らせるのがベンチなのだと思う。
 今は溝六というトレーナーを得て、そしてまもりなのだ、と思っている。
 まもりは常に、振り返らないあの背中に手を伸ばす。
 でも、まもりが手を伸ばすのはその背中を手に入れたいためではない。
 抱きつくためでもない。
 振り向いて欲しいがためでもない。
 蛭魔にとってまもりと寝たことは、テンペストみたいなものなのだろうと予想する。
 一時吹き乱されて、でもそれぐらい、風化する。
 まもりじゃ蛭魔のコアに行きつけない。
 自分じゃなくてもいいのだ、と思う。
 栗田でも、ムサシでも、案外ノリと気が合っている鈴音でも、まもりが知らない誰かでも、蛭魔がまで出会っていない誰かでも、それが、女でも、いい。
 本当にそんなものを目の当たりにすることがあらば、自分は叩き伏されるだろう。わかっている。
 でも、だからどうしたというのだろう。どうできるというのだろう。
 蛭魔の方はまもりに手を伸ばしていないし、裏切りという行為が成り立つ前提すら、自分たちの間にはない。
 どうすることもない。
 誰でもいいのだと思う。
 誰か、あの男に自分は愛されていいのだと愛されていると、気付かせて。
 愛されている至福に包ませてあげて。
 蛭魔の身勝手さに巻き込まれてそれでも皆今は自分の足で歩んでいる。
 願ってやまない。
 滑稽だと、第一大きなお世話だし馬鹿らしいとわかっていてそれでも思うのは勝手だと。切に希う。
 誰かあの男を愛して。
 まもりと蛭魔が向き合うのは、見詰め合うためにではない。
 火照る頬をタオルで拭って顔を抑える。
 映る鏡に自分の顔を見た。蛭魔は、綺麗だ。蛭魔の目に映る自分はどうだったのだろう。もうすでに、赤い顔はしていられない。
 まもりはその夜きちんと机に向かって、ノートを開き、シャーペンを握って、バインダの項目を指で追いかけた。
 蛭魔が突き付ける銃口に対抗する術をまもりは持たなくてはならない。
 まもりも今夜のベッドの中で蛭魔を思い出し恋しさに枕を濡らす、なんてことは、事実としてない。
 蛭魔の夢など自分は見ない。そう思いながら、眠った。
 
 本当に蛭魔の夢を見てしまって、まもりは目覚めた朝のベッドでしばし茫然となる。
 
 その朝方に見た夢を、パジャマを脱ぎながらまもりは、蛭魔に話そうと思った。
 『わたし朝ね、ヒル魔くんの夢を見たわよ』言ってやれば、蛭魔はどんな顔をするだろう。
 『ヒル魔くんはわたしの夢を見た?』これはちょっと言い難いかな、鼻で笑われて終ってしまいそう。
 それともあの時みたいに、呆けた表情の蛭魔を見られたりするだろうか。
 ハイソックスを足指に通したとき、小さい赤い跡が目に止まった。
 まもりは靴下を膝下まで引き上げる。
 きちんと服を着込むまもりのどこに傷跡があるかなど、気付く人はいないだろう。
 やけに健全な気持ちだった。見た夢が健全だったからだろう。
 まもりが見た夢の内容は、試合でまもりがベンチから出した守備のプレイコールがまんまと成功を収め、そしてその試合には大勝利する、というものだった。
 蛭魔とこの話しをしよう。
 『わたしはチームエリアに戻ってきたみんなと手を叩き、メットを脱ぎ捨てたあなたはフィールドの外に走り出して、用意していたお祝いの花火を連発させる』
 夢の話しをしよう。
 秋大会にあと一日が迫った今日にまもりは玄関のドアを開けて踏み出す。
 出る前に鏡を見た瞬間、昨夜蛭魔のことをとても綺麗な男だとまもりは思ったのだけれど、そんな自分もまんざら「わるいカオ」ではないように思えた。
 綺麗かどうかはわからないけれど、蛭魔に「いいカオ」の女だと目に映るくらいには綺麗になりたいと、こっそり思った。
 間違いない、まもりの今の夢は遥かなるフィールドに向かっている。
 セナと、栗田とエースのアイシールド21とモン太と十文字と黒木と戸叶と小結と雪光と瀧兄妹と助っ人の皆と溝六と、蛭魔と共にある。

 



 
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